現実を受け入れるという意味






「現実を受け入れる」ってどういう意味だと思いますか?




私は、「現実を受け入れる」ってことは自身を客観的に見て、それをどのように今に活かすかっていうことだと思っていたんですが、




違ったとらえ方もあるようで。




「現実を受け入れる」ってことは、諦めることみたいなニュアンスで使っている人がいました。



どちらが正解というものではないんですが、もったいない感じがしました。



せっかく、現実がなんとなくわかったんですから前向きに考えなかったらと思ったんです。

似たようなことで、「ありのままの自分でいる」っていうのも、結構、ニュアンスが微妙で、



「そのまま」っていうことだから、飾らないでいることって言う人と、



そもそも「ありのまま」の基準が高い人は十分飾っているけど、「ありのまま」に感じる人がいたり。

私は個人的には「現実を受け入れること」や「ありのままの自分でいる」こととは、前向きに生きていくためにある言葉だと思っています。



ですから、だから「綺麗でいよう」とか、「頑張ろう」とか、なんでも良いから、目標を持つために、使っていきたいと思いました。

自分を変えるために、どのように食欲を抑えているか?






写真とトレーニングで自分を変えるには、ポイントが二つあります。




ひとつは運動と食欲の関係、ふたつ目は、写真と自己肯定感の関係です。




運動と食欲




今日はひとつ目のお話。




運動と食欲には密接に関係している部分と切り離して考えたほうが良い部分とあります。




運動をするとカロリーが消費されます。




したがってカロリーは食事によって摂取しなければなりません。






カロリーだけではなく、必要な栄養素、ビタミン、ミネラルは全て食事によって摂取しなければいけません。




ここまでは、わかりますよね。




消費とカロリー




では、今より痩せたいとしましょう、運動をするとカロリーを消費するので痩せることができるかというと、これが微妙なんです。




人にはそれぞれ代謝できるカロリーの量が違い、これは、日常の運動歴によって変わります。




要するにカロリーの消費は人によりバラつきがかなりあるということ。




なので、摂取カロリーが同じ量でも太る人と太らない人がいることがあります。




今よりも痩せたい人はまず、人と比べないようにしてください。




何回も言いますが、同じカロリーを摂取しても消費カロリーに違いがあるので、比べようがないのです。




これは運動以外にも、体温や仕事、家庭環境など、かなりプライベートなことが関係してきます。




カロリーの消費は、科学的によくわからないこともいろいろあるので、人と比べると間違いを起こしやすいです。




痩せるなら摂取を




今より痩せたい人は、消費(運動)を頑張ることよりも、摂取を控えることに全力を注いでください。




食欲を抑えることが現在の体重や体脂肪を減らす直接的方法です。




運動がダメとは行っているわけではありません。




運動の効果は代謝をあげ筋力をあげることに一番効果があります。私自身は痩せることを目的にはしてません。




食べ物を我慢する、もしくは選んで消費することが、より良い身体つくりに一番の効果があります。




食欲を抑えるコツ




では、食欲を私は「どのように抑えているか」ですが、食欲があるから抑えられているというのが正解に一番近いです。




食欲がある。これは何を食べたいか、何処で食べたいか、誰と食べたいか、




など食欲を抑えているとこんなことをよく考えます。




ただ食べるという行為より、どんな、何処、とかがより重要視されるようになりました。




逆に言えば、「こんなんなら食べないで、次回に良い条件の時にしよう」、というふうになりました。




より美味しく、より楽しく食べるように体を万全にしておく、




気兼ねなく食べれるようにしておく、これが私の食欲を抑えるコツの考え方です。




ストレスと脳




チョット話がズレますが、脳は糖質しかエネルギー原がないから糖質を取るということを聞きます。




これは正解ですが、例えば、ストレスを抱えると食欲や糖質摂取欲が増すということもよく聞かれます。




これを「脳の疲労が糖質を必要としている」と解釈している人がいますが、




これはチョット飛躍している考え方だと私は思います。




脳への糖質(グルコース、グリコーゲン、ブドウ糖)の供給は、血糖値というもので管理していると言われています。




血糖値




血糖値は糖質の摂取が少なくなると肝臓に蓄えられた糖質(グリコーゲン)で常に一定の濃度にするように最優先で管理しているらしい。




糖質の吸収はそのほかの栄養素より早く、供給も早いですが、体に糖質として貯めておく量は筋肉と肝臓とで極限られているようです。




筋肉に溜まっているグリコーゲンは血糖から摂取し、筋肉のみに使われれるようで脳には影響しない。




そして余った糖質は脂質へ変換され蓄積へ。




このように、血糖値を一定に保つシステムをホメオスタシスと言いますが、血液の成分が常に一定のあたいになるように血管自体にセンサーがあり管理しています。




かなりの低栄養状態にならない限り、脳への影響がないようにしていることです。




もし、ストレスが溜まったから糖質を取るとしたら、




ストレス自体は糖質の摂取で解消されますが、糖質を直接、消費しているわけではないようです。




ストレス=糖質摂取というロジックを日常にしてしまうと、




太りやすくなり、糖質の過剰摂取により、血管の老化や糖尿病のリスクが上がることのほうが可能性がたかくなります。




次回に続く。

体に良いこと、悪いこと






体に良いと言われるとなんとなく意識するでしょ。反対に悪いことと言われても意識するでしょ。




今日、患者様とこんな話をしました。




でもどっちが日常生活に影響するかって言うと、私は悪いことを減らす方が、良い効果があると感じます。




良いことをするのを増やすことが意味がないわけではありません。





良い悪いは相殺しない




しかし良いことと悪いことの相殺が確実に成り立っているなら良いんですが、なかなかそれを裏付けるエビデンスが見つからないんです。




私が禁煙したのは29歳の11月29日から、その日は今でも覚えています。




朝までビリヤードをして、買いだめしていたタバコ6箱を一気に吸ってやろうとしていました。




結果、吸いきれないで4箱ビリヤード仲間が捨てるならくださいと言われたので、あげました。




あれから22年間禁煙は続いております。




禁煙の効果はすぐに感じられるものもあれば、最近になって感じることもあります。




この時、禁煙をしないで喫煙を帳消しにできる良い事って私は頭に浮かびませんでした。




このように極端な事例はそうそうありませんが。





食事は程度の問題ならば




身近なことだと、食べ過ぎたことが体に悪いこととします。




では良いことで相殺できるでしょうか?




私だったら次の日の食事の量を減らしますが、これは同じ事をするか、しないかの問題になってしまうので、




代わりになることって言うと、なんでしょうかね?なかなか思い浮かびませんね。




食事を減らすこと自体が体に良いことかはこの際置いといて、このように相殺も可能なこともあります。




でもチョット考えると、食べ過ぎなければ良いことじゃないかって思いますよね。





運動はしたほうが良い




運動はどうでしょうか?運動自体は基本的に体には良い効果が期待できます。




運動が悪いことだとすると、それは「やりすぎた時」でしょう。




やりすぎた運動を相殺出来る事って、休息ですかね。やはり「やりすぎない」ことをしたほうが良いような気がします。





食事と運動





食事と運動の関係はほとんどのお客様から質問されるナンバー1です。





「食べ過ぎたら運動すればよいか」

「食べないから運動もしない」

「運動したから食べて良いか」

「運動してないから食べない方がよいか」


いろいろありますが。






私がいつも気にしていることは、まずは過ぎていると思うことをやめることから始めてくださいとアドバイスします。




悪いことを減らしていく、それを考えたとき程度の問題なのか?キッパリやめたほうが良いのかを考えます。




その後に余力があれば良いことをする。





食べすぎは運動では解決しない



「食べ過ぎなら食べ過ぎないことから」

「食べないことが健康に影響していると思うなら運動よりも食べることから」

「運動不足と思うなら運動を始める」




食事と運動の相殺はありそうですが、体に与える効果が全く違うと私は考えるので一緒にはしない、




相殺は無いと考えています。簡単に言うと「食べ過ぎは運動では解決しない」です。




どちらも終わりのない一度始めたら続けることが大切なので、無理せずコツコツやっていくことが必要に感じます。

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