横浜移住資料館のレストラン





ハワイの移住の歴史でおじゃました、移住資料館。




ここはじつは穴場スポットでもあります。




ここのレストランなんですが、安くて、まずまずの味、絶景、混み合っていない。




と、なかなかのスポット。




なんせ移住会館ですから、世界各国の料理がズラリと並んでいます。




早速、昼食を食べにランチタイムに行ってきました。

入口には大量のサンプル写真、とても良心的値段
これでもかって位、世界中の料理のサンプル写真
まだまだ、なんでもありますよって感じ なんでこんなに?
店内はこんな感じ



なんでこんなにサンプル写真が多いのか、入口で迷っていたんですが、




この店のシステムが、サンプル前の箱の、食券を取ってからレジで支払いを済ませて、




レシートを調理カウンターに持っていき、食事と交換するシステムになっている為でした。




簡単に言うと、入ったらメニューはありません。




ここにはテラスがあってで入り自由です。私が行った日は私一人しかテラス席にいませんでした。

私はランチのカレーライスをチョイス。

カレーや汁物はすぐに頂いた方が良いです。




写真なんか撮っていると冷めやすいので、早く食べましょう。





グリーンの食券と白の食券のメニューは平日ランチ時にはコーヒー紅茶がついていて、自由に飲めます。

目の前にベイブリッジ

こんな感じで素敵な場所です。風が強いとチョット出られないでしょうね。






ここの雀は、食べているとすぐそばまで来て、おねだりします。




餌はあげない主義なんであげないでいるとあきらめて、何処かへ行ってしまいました。

っと思っていたら、食事の済んだ皿を置いて写真を撮っていると、雀が皿から一粒ご飯をついばんでました。




とっさに写真を撮りました。




カレー味のついたご飯は雀には辛くないのでしょうかね?

自分を変えるハワイの真面目な話し





横浜に移住資料館があります。




前から、気になっていてので行ってきました。




移住ってご存知でしょう




ハワイにも移住して150年がたつそうです。




ハワイには日系のひとが多くいることは知られていますが、どのような生い立ちなのかを簡単に勉強しようかなと思いました。




まずは移住の歴史から




日本人の海外移住は、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから、すでに150年以上の歴史があります。

当時の移住の方々の持ち物の展示 写真撮影ができるもの
カバンの中身
カバンの中身
工具




ハワイ王国における砂糖きびプランテーションへの就労(官約移民)に始まって、




アメリカ、カナダといった北米への移住、そしてその後1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人が渡ります。




そして、1924年にアメリカで日本人の入国が禁止されると、大きな流れが北米から南米へと移っていきます。




その結果、第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人が移住しています。




どうでしょうか?おかたい文ですが、わかりやすいと思います。




移民資料館のHPからの抜粋です。




では、ハワイに限って年表で説明しますと。






ハワイの移民の歴史




ハワイへの集団移住が始まって150年立ちます。




先駆けとなった人たちは1868年(明治元年)に渡ったため元年者と呼ばれその子孫は8世代にまで広がっています





1852年 中国から最初の移民195人がハワイへ

1853年 ペリーが浦賀に来校

1868年 日本から151人がハワイ上陸(34日間の船旅)

1871年 元年者の契約が満了 残留90人帰国51人死者7人不明3人

1898年 アメリカがハワイ併合




1835年に始まったハワイの主要産業のサトウキビ栽培に大量の労働者が必要になったことで各国から移民を受け入れるこことなります。




日本人は契約期間3年、、月26日労働で月4ドル住居食事医療はハワイ負担という条件でした。




当時のサトウキビ畑の労働はとても厳しく、暑さに慣れていない農業未経験の方などは早々に引き返しているようで、




その数は40人ほど、過酷な労働だったことはなんとなく想像できます。




現在はサトウキビ産業はハワイにはありません。




マウイに行くとサトウキビ列車というのが観光用に走っていて、生ギターの演奏があり、風が優しく吹き、ハワイだな~という気分に浸れるスポットがあります。





楽園ハワイ?




楽園ハワイかどうかは人によって感じ方は違うと思いますが、




私にとっての楽園ハワイはこのような人たちの歴史の上に成り立っていることは事実としてあることで、




これからもハワイアンと日本人が良い関係でいられるように移住の方々がどのようなハワイを望んでいたであろうとちょっとは考えるきっかけになりました。

体力より脳力、歩くとどうなる?





朝一で父に質問された「歩くとどうなる?」




父には、必要以上に歩かない方が良いと指導しているためにこのような質問になります。




体に良いと信じて




私の考えは、高齢者に筋肉維持のためのウォーキングはすすめていません。




ここでいうウォーキングとは、30分以上で毎日や、それに匹敵する頻度の歩く運動。




なぜなら全身の筋力低下していると仮定して話すと、




姿勢が悪いために膝にかかる負担が距離や時間が伸びると大きくり、




それが原因で膝関節を痛めることになるからです。




痛めた膝関節を、何故か休めることなく続ける人が多いのも特徴で、




そのため習慣にするには危険と判断しています。




痛めても、歩き続けた膝関節は元には戻りません。




しかし限定的に10分程度の散歩は良しとしています。




しかし、これは散歩であって、筋力低下防止のためではなく、気分転換のために。




父は、以前膝を痛めていて(この時はすぐに対応したため治った)それ以降、私の教えを守っているので、散歩はしているが積極的にウォーキングはしていません。




しかし、散々メディアではウォーキングをすすめるので、気になって質問したようです。




歩くとどうなる?



私、「健康な人が、ウォーキングをすると筋力がますことよりも体温の上昇や血行の促進、心拍数の上昇などなど、心肺機能に良い、平常時よりも代謝が上がることが期待できるよ。」




父、「じゃあ、やったほうが良い?」




私、「いや、やらなくて良い。あなたはナッシュボディ白楽で筋力トレーニングを週1回、自主トレを週2回しているからそれで十分。散歩以外は膝の怪我のリスクが高くなるのでやらなくて良いよ。」




父、「わかった」




非常に物分かりの良い父であります。




脳力とは




でも、「たまに歩くのは大丈夫?」っていうから「大丈夫だよ、家からバス停までとか、よく買い物やカラオケで行く、横浜駅の構内とかは良いと思うよ。」




父、「横浜駅構内を歩くのは、ゆっくり歩く方が良いかな、どうかな?」




私、「ゆっくりじゃないと歩けない?」




父、「いや歩けるけど、なんとなく疲れそうだからゆっくり歩いている」




私、「あなたの体力なら目的を持って、短い時間だったら、早歩きの方が健康には良いから、ヨドバシから高島屋くらいは、試しにのんびりよりも少し早足で歩いてごらん」




父、「なんで、早歩きが良いの?」




私、「人を避けたり、まわりの状況を判断しなければいけないので、脳が活性化するよ。」




私、「人ごみを歩くのは、脳の情報処理能力に比例するから体力より脳力だよ。通常は人が、避けてくれているから事故にあわないだけで、自分がある程度の体力がないと人ごみに出れなくなってしまう、そのためにも、人ごみを歩く練習だと思ってやってみるとよいかも」




私、「疲れたら休めば良いし、平日の午前なんかチョット空いてる時だけにすれば良いんじゃないか」




父、「わかった、体力よりも脳の問題で歩くスピードが遅くなるってことね」




非常に物分りの良い父であります。




それから、スタスタ歩く練習を、すいている時にやっているそうで、調子が良いみたいです。




くれぐれも、短い距離、短い時間は守ってくださいね。

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