陰陽論の三回目
今回は、前回の「消長と平衡」のつづきです
陰陽論でいう世界は、けっして止まっているわけではなく
たえず動いていて、対立しながらもバランスをとっているということ
消長は、増えたり減ったりすることの意味で、平衡とはバランス
では、増えたり減ったりすることはわかったけど、ずっと増え続けたり、減り続けたりしないから、平衡がたもたれるわけですよね
では、その結果的に平衡を保つためにおきることがあります
「転化」とは
ものごとが、過ぎないようにあるところで、限界がきて、その場から移ることを
「転化」といいます
行き過ぎて、極まったところで「転化」して、その場から離れ移動しようとする
それは、たえず動いている状態でおきます
簡単に例えると、朝が来て夜になって、また朝がくる
春が来て、夏になって、秋が来て、冬になる そしてまた春が来る
世界は、絶えず動いていて、極まると転化して、移っていく
転化の条件
「転化」には、一定の条件があって
「重陰」は必ず陽になり、「重陽」は必ず陰になる
この「重」は増え続けること
要するに、増え続けることが「転化」の条件という意味です
物質で言うと、燃え続けると炭になり、消える
炭は、多く集まれば、火をおこす
人で当てはめると、興奮と抑制とか
健康志向で、良い食材を摂ることは必要ですが、摂りすぎ(増える)は、健康を害することもある
「人生悪いことばかりではない」的なことも、重陰であるなら、必ず転化して陽(良いこと)に移り変わっていく
物質の移り変わりよりも、人の生き方に置き換えると、わかりやすいです
時代背景
実際は、悪くなることがすすんで行くからといって、必ず、良いことに向かうかといえば、違うと思うし、その逆も然り
「気の思想」「陰陽論」の原型は、紀元前5世紀から発展して、現代風にまとめられたのだって、西暦100年から200年あたりです
その頃、いまでいう中国は、戦国時代です
東洋医学のもとになる考え方は、自然界は人体に影響していて、合一しているということ
病理感も、争いごとに直結しているし、自然は今よりも巨大で逆らうすべがない時代です
そのような、時代背景を考えると、病と精神は一体で、生も死も自然の一部なのです
その自然の摂理を、人の病の素と考えることはとても自然なことだと思います