外に出かけることが、すごく良いこと。






写真をはじめるようになってから外出が多くなりました。




結果、普段では気づかないことも気になるようになり、単なる移動が観察にかわりました。




これと似たことで、出会いも多くなり、今まででは考えもしないアイデアが生まれる結果にもなります。






先週、海に出かけた時に、浜でお弁当を食べているときにひと組のカップルが近くに座って話をしていました。




なんとなく聞いていと、男性がこれからお店を出そうとしているようでした。






職業はわかりませんでしたが、「できれば将来は3店舗くらい出したいなあ」と彼女に語り、




彼女は冷静に彼の言うことにうなずいたり、あいずちをうったりしながら、




お互いに楽しそうに将来の夢を確かめるように話していました。




彼は、何らかのセレクトショップをやりたいが「きっかけ」がないと。




もし友人、知人でデザイナー系で有名なアーティストがいたら、コラボして出すのになあと言ってました。




それを私はご飯を食べながら聞いていたんですが、





その後店に戻って一日を振り返ってみたとき、




このことすなわち「友人、知人がいたら出すのになあ」のくだりがふと思い浮かんできて、




そういえば、わたしも店をオープンするとき何かしらの保証が欲しかったのを思いだし、




みんな不安と戦っているんだなあと思い出しました。




私は一様資格持ちで肩書きがありましたが、客商売には変わらないことはわかっていたので、




不安で不安で気持ちがいっぱいになっていたこと、





自分を信じることの難しさ、





でもやることは決まっているという現実の板挟みだったなあ。




このことをきっかけに初心に帰り、「何がしたいのか」、「何ができるのか」、




「今はどうなのか」、今一度、じっくりと考えるきっかけになりました。




外出しなければ考えもしなかったことでした。

現実を受け入れるという意味






「現実を受け入れる」ってどういう意味だと思いますか?




私は、「現実を受け入れる」ってことは自身を客観的に見て、それをどのように今に活かすかっていうことだと思っていたんですが、




違ったとらえ方もあるようで。




「現実を受け入れる」ってことは、諦めることみたいなニュアンスで使っている人がいました。



どちらが正解というものではないんですが、もったいない感じがしました。



せっかく、現実がなんとなくわかったんですから前向きに考えなかったらと思ったんです。

似たようなことで、「ありのままの自分でいる」っていうのも、結構、ニュアンスが微妙で、



「そのまま」っていうことだから、飾らないでいることって言う人と、



そもそも「ありのまま」の基準が高い人は十分飾っているけど、「ありのまま」に感じる人がいたり。

私は個人的には「現実を受け入れること」や「ありのままの自分でいる」こととは、前向きに生きていくためにある言葉だと思っています。



ですから、だから「綺麗でいよう」とか、「頑張ろう」とか、なんでも良いから、目標を持つために、使っていきたいと思いました。

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